探訪 昭和記念公園

いやー、秋っすな〜。
紅葉とか子供の頃は露ほども関心無かったんだけど、年取ってくると妙に風情や情緒を感じるようになってきましたね。……これが老けるということか(遠い目)
ま、まぁ、よく言えば成熟してきたっつーことだよねw

先週の休日にちょっと遠方まで足を伸ばして、昭和記念公園へと行ってきました。

ひっさびさに車で都内走ったんだけど、やっぱ鈍ってた。合流で波に乗れずにヒヤヒヤでしたわ。トラックの運転手さん、せっかく譲ってくれたのにトロトロしてて申し訳なかったですm(_ _)m

しかも土曜なんで激混みも激混み。
1時間予定で到着するはずのところが2時間以上かかる事態に。
車内で一人延々と罵詈雑言を吐いてましたわw
こういう時、トラブルも込みで楽しめるメンタルを持った人って本当に凄いなと思いますね。

 

そんなこんなで何とか到着し、入園料の410円を支払いいざ散策へ。

銀杏の木の鮮やかな黄色が見て取れますね。
良い光景なんだけど、銀杏といえばあの独特の匂い。まぁ、嫌いって人もいるだろうし、気持ちもわかります。
でも銀杏のにおいってなんかクセになる香りじゃないですかね?
いや、クサいのはクサいんだけど、いつまでも嗅いでいられるクサさというか。
……うん、なんか賛同得られそうもねぇなコレw
こんな純朴な自然の中でニオイフェチに目覚めるのはちょっと特殊な事例すぎる。

銀杏の並木道を抜けるとポピュラーな紅葉がちょこちょこ目につきました。
絨毯みたいに落ち葉が積もる積もる。
落ち葉を見ると条件反射的に芋焼きたくなるのは僕が日本人だからかしら。

落ち葉を踏んだ時のサクサク感は癖になりますね。出来れば裸足になりたかったくらいだけど、いい歳したおっさんがそこまではしゃいでるのは、端から見るとキモい事この上ないんで自重しました。

 

ボート乗り場もあったんで恋人や家族と行った時は一緒に乗って水上から紅葉を見るのもオツでしょう。
……ぼっち上等なら一人でも宜しいかと。止めはしないよ。ハートブレイクの保障もしないけど。

花の丘は今は来春に向けての準備中ということでこんな寂寥とした感じでした。

なおシーズン中であればこんな景色が見られるみたいなので暖かくなったら絶対に来てみたいね。アウトドアチェアでも持参して、ゆったり酒でも飲んで寛ぎながら読書とかしてみたいな。……あ、車で行くから無理だわw

 

水辺沿いを歩いていると、キャッキャ歓声が上がっていたんでそっちを見てみると……

うおぉ、やっべカッワ! 超持ち帰りたいんですけどォォォ!(駄目です)
なんでこう、毛がフワッモフッとしてる生き物ってな、こうも可愛いんですかね。
広大な自然と可愛らしい生き物って癒しの王道を突っ走ってるよなぁ。

ちなみに僕を萌え殺す鳥類どもの直下で鯉(?)も泳いでました。
なんでか黒い体色の群れの中に一匹だけ白いのが混ざってましたね。……鯉にもアルビノとかいるのかしら。

 

園内にはレストランや屋台がいくつもあるんで空腹を満たすには困らないですね。
僕は屋台で買い食いしながら回っていたんですが、写真の団子なんかはグルメグランプリ入賞らしい。やるやんけ。
実際、醤油の香ばしさと団子のモチモチ感がいい感じに美味かったです。
一部ではBBQスペースもあって、たくさんの人で賑わってましたね。リア充爆発しろ

 

ここまで紹介したのは有料エリアですが、無料で解放されているエリアもあるのでお金をかけなくても楽しむこともできますよ。

特にドッグランスペースが併設されていて僕が訪れた時にも大好きなモッフモフな犬っころが沢山いました。犬好きならそこだけでも行く価値がありますわ。

通して見てみると全体的に想像していたよりずっと広かったですね。
時間が余ったらカフェで読書でもと思ってたけど、ぶらりぶらりと散策してるだけで閉園時間まで経ってしまいました。
イベントやアクティビティに参加すれば一日じゃ回りきれないほどの広い敷地に、自然の魅力が詰まってるこの場所、機会があれば是非行ってみてほしいですね。

過去に戻れたら

どうします?

と言っても別に中二病的な話じゃありませんよw
最近読んだ本がそういった内容だったので、そこから連想したんです。

それがこちら、

 

“お願いします、あの日に戻らせてください―。「ここに来れば、過去に戻れるって、ほんとうですか?」不思議なうわさのある喫茶店フニクリフニクラを訪れた4人の女性たちが紡ぐ、家族と、愛と、後悔の物語。”

※紹介文より引用

 

レビューは様々な所で見れるので、書籍としての評価はそちらを参考にしてください。
僕はちょっと自分に置き換えてこの物語とリンクさせてみたいと思います。ここを見てくださった貴方もちょっと自分に置き換えて読んでみてください。

物語の中でも過去に後悔を抱いている登場人物が喫茶店を訪れるわけです。当然ながら過去に戻ってやり直しを要求します。
しかし、過去に戻るには色々と条件があるんですが、その中の一つに

・過去に戻ってどんな事をしたとしても現在は変わらない

ってのが、あるんですね。

まぁ、大体のタイムスリップ系の肝は、『過去改変』ですからね。
今現在の悔やんでいる状況が変わんないのであれば過去に戻る必要性がないわけです。

それでもあえて戻ろうとするならば、それはどんな事柄でしょうか?
それはきっと伝え損ねた言葉や渡し損ねた物を渡す、といったことになるんじゃないでしょうか。
作中の動機も大体そういったようなものですね。

自分ならどうだろうと、僕は考えました。
正味なとこ、そんなドラマティックな人生歩んできてないんで、俗っぽい要素を排除されると答えに窮してしまうのが実態ですw
なんでもアリなら株とか宝くじとか、過去改変のテンプレみたいな答えが次から次へと出てくるんだけどな!www

そんな益体も美学もない妄想ばかりが浮かんでしまうなかで、ふと真面目に頭に浮かんだのはやっぱり身近な人の事でしたね。

貴方にも家族はいるかと思います。実家暮らしですか? それとも一人暮らし?
実家暮らしだったり二世帯・三世帯で住んでいるなら接する機会も多いでしょう。
でも一人暮らし――特に地元を離れている場合はそうはいかないんじゃないでしょうか。
僕もその例に漏れず一人暮らしをしているクチですが、やっぱり家族との時間なんて普段は作れないんですよね。

――ですが、それでも言っておきます。作りましょう。

もしも親や祖父母が亡くなっている方がいるなら思い当たるかもしれませんが、

“元気なうちにもっと孝行しておけばよかったなぁ”

そうは思いませんでした?

僕も母が他界していますが、死んだ悲しみ以上に感じたのはそんな悔いでした。
僕は東京、母は東北と確かに距離的に離れてはいたんで気軽に会うのは難しかったけど、それでも偶に帰省した時なんかは母のために時間を使えばよかったなぁ、と思わずにはいられなかったです。

孝行したい時には親はなし、とは全くもって至言です。
ですんで近親と連絡とってねぇなぁって人、とりあえず電話の一本でも入れてみては?

これに限らず行動に起こすというのはとても大事です。
後悔したくないなら行動するしかありません。

いや、それで失敗したらどうすんのよ?
そんな反論もあるでしょう。

行動=成功では確かにないです。
手段や方向性、あるいは運で結果はどうとでも転びます。

だから大事なのは自分が納得するのはどっちかということ。
行動して痛い目をみるのと、行動せずに縛られるの――そのどっちが自分にとってよりマイナスか。どっちの天秤がより重いのかを考えればいい。

僕にとっては「ああしておけば良かった」、「あの時にやっておけば良かった」と思うことこそが一番心に残るものでした。
過去の後悔が偶にふと頭を過ぎってモヤモヤした気持ちになるのが気に食わない。
だから動こう、やろうという気持ちになります。

この物語のように、過去に忘れ物を取りに行くことすら出来ない現実に僕らは生きている以上、今この瞬間に何をして、未来よこうあれと願いながら少しでもそれを実現させられるよう進むのが過去に取り零した物への自分なりのケジメになるんじゃないかなと思います。

……と、気が付けば自分語り全開になってて恥ずかしいんですが、まぁ自由に書き殴る痛い系ブログなんで、ご容赦を。もしもここまで付き合ってくれたなら有難うございます。

たかが本一冊でよくもまぁ、妄想が広がるなと思うかもしれませんが、とことん自分に置き換えて読んでみるっていうのも本の楽しみ方の一つじゃないかな。
もし自分の想像力に自信があるなら、こんな本の読み方をしてみても楽しいんじゃないですかね。

伝達力と読解力

秋らしい穏やかな天気が続いていますね。
特に僕は冬型の人間なんで、これからどんどん寒くなっていく――というより暑さが遠ざかっていくことを考えるととても元気になってくるんですよねー。

……ただ、季節的にそうでも肉体的には良い塩梅とはいかないようで、ここ最近は少し体調を崩し気味なのが困りものです。
体調が悪いとは言っても熱があるわけではないので仕事も休むわけにもいかず、ダルいながらも向かわなくちゃならないのが労働者の辛いところ。
さて、そんなテンションもダダ下がる環境だったわけですが、更に気分が直滑降しそうな要因といえば人間関係。
僕も含め全国の労働者で、これに頭悩ませていない方っていらっしゃるのかしらね?
まぁ、生まれも育ちも価値観も思考性も違う人間が寄り集まって仕事してるわけだから、齟齬が生まれるのは当然っちゃ当然ですわな。
それを補正するのがコミュニケーション能力なのだけど、どうにもこれが機能してねぇなーって感じることってありません?

例えば僕の話しですけど、普通にリーマン(に限らないだろうけど)あるあるな話。

上司:A(とそれの次にやるB)やっといて。

Howl:へい。終わらせやした。

上司:……Bは?

Howl:いや、この後やりますけど、Aやってって指示ですよね。

上司:いや、Bもやってよ。俺はそう言ったから。

Howl:そんな指示聞いてねぇよクソが(あ、そうだったんですね。すいません)

抽象的な表現にしてますが、こんな感じ。
時には逆にこっちが言ったことを10のうち5しか理解してくれてないこともあったり。
ここで言いたいのは別に、テメェクソデブ死んどけや!……という事ではなく(無くもないけど)、何が原因で齟齬が生まれたのかなってこと。

考えてみて個人的にこれだって思うのは以下二つ。

1.省略

2.抽象

省略ってのは文字通り説明を省いちゃう事ですね。

5W1Hはビジネスの用語としてはメジャーですよね。When(いつ) Where(どこで) Who(誰が) What(何を) Why(なぜ)したのか?にHow(どうやって)を加えたものですけど、会話(あるいは文章)としてはこれが正しい形なんですよね。

例えば、

「俺さー、今朝めっちゃ腹減ってたからにマックでセット2つ一気食いしたんだけど、お陰で腹苦しいんだよね」

と、

「マック食い過ぎて辛ぇわー」

という二つの言葉を聞いた時にどういう風に受け取るか。

後者であっても別に会話として変なことはありません。意味は伝わります。が、やはり情報の密度として見た場合の違いは明らかですよね。
マックを“いつ”食べたのか、“何故”辛いのかなど、受け取る側で情報を補正しなければならないわけです。
要するに言葉(あるいは情報)というのは、伝える相手に連想させる余地が多ければ多いほど曖昧になっていくものなんですね。

もう一つの抽象というのは、

“アレ” “コレ” “ソレ”

などの、いわゆる指示代名詞というやつですね。先ほどの上司もよく使ってきます。
これを極力使わないというのは僕が後輩、部下など自分が教える立場にいる時に心掛けている事なんですが、この言葉がなかなか厄介なもので、気を付けていてもついつい使ってしまう単語なんですよねぇ。
一言で状態や場所を示せるからホント使い勝手がいい。でもその反面、これ以上なく情報を曖昧にしてしまう。
自分が分かっていることが必ずしも相手も同様に理解しているとは限らないものなのにね。

さて、小難しくこんな脳内会議を繰り返して出した結論としては、

“情報を具体的にするようなコミュニケーションを取る”という

……いや、当たり前じゃね? なんてツッコミがきそうなものに落ち着いたわけです。
まぁ、実際それを意識してから前より少しは意見の伝達がマシになった気がするので間違いではないんでしょう(多分ね)
……ただまぁ、ぶっちゃけメンドクセェ。
そもそも気に食わねぇ相手とコミュニケーションなんぞ取らずに仕事が進められりゃ誰も苦労はしないんですがね。土台ムリな話ですが。

個人的に“他者”と“自由”というのはこの世でもっとも対極に位置しているものじゃないかと思っています。極論、他者が存在しなければそれだけで自由ですし、そもそも自由という発想そのものが他者への意識に端を発した概念だと、そう僕は思っています。
とはいえ、どれだけ自由を渇望しようと現実社会で生きていく以上、コミュニケーションはどうしても避けられません。
そして、どんなに言葉を尽くそうと他人である以上、どうしても齟齬というのは発生してしまうものだと思います。
それでも出来る限り伝える努力をするのは大切です。相手の為というよりは自分自身の立場や精神衛生を守る為に。

他人とどう折り合いをつけて接していくかというのは、自由に生きる上で何よりも考えなければいけない課題なんじゃないかなと、この文章を書いていながら思いました。