過去に戻れたら

どうします?

と言っても別に中二病的な話じゃありませんよw
最近読んだ本がそういった内容だったので、そこから連想したんです。

それがこちら、

 

“お願いします、あの日に戻らせてください―。「ここに来れば、過去に戻れるって、ほんとうですか?」不思議なうわさのある喫茶店フニクリフニクラを訪れた4人の女性たちが紡ぐ、家族と、愛と、後悔の物語。”

※紹介文より引用

 

レビューは様々な所で見れるので、書籍としての評価はそちらを参考にしてください。
僕はちょっと自分に置き換えてこの物語とリンクさせてみたいと思います。ここを見てくださった貴方もちょっと自分に置き換えて読んでみてください。

物語の中でも過去に後悔を抱いている登場人物が喫茶店を訪れるわけです。当然ながら過去に戻ってやり直しを要求します。
しかし、過去に戻るには色々と条件があるんですが、その中の一つに

・過去に戻ってどんな事をしたとしても現在は変わらない

ってのが、あるんですね。

まぁ、大体のタイムスリップ系の肝は、『過去改変』ですからね。
今現在の悔やんでいる状況が変わんないのであれば過去に戻る必要性がないわけです。

それでもあえて戻ろうとするならば、それはどんな事柄でしょうか?
それはきっと伝え損ねた言葉や渡し損ねた物を渡す、といったことになるんじゃないでしょうか。
作中の動機も大体そういったようなものですね。

自分ならどうだろうと、僕は考えました。
正味なとこ、そんなドラマティックな人生歩んできてないんで、俗っぽい要素を排除されると答えに窮してしまうのが実態ですw
なんでもアリなら株とか宝くじとか、過去改変のテンプレみたいな答えが次から次へと出てくるんだけどな!www

そんな益体も美学もない妄想ばかりが浮かんでしまうなかで、ふと真面目に頭に浮かんだのはやっぱり身近な人の事でしたね。

貴方にも家族はいるかと思います。実家暮らしですか? それとも一人暮らし?
実家暮らしだったり二世帯・三世帯で住んでいるなら接する機会も多いでしょう。
でも一人暮らし――特に地元を離れている場合はそうはいかないんじゃないでしょうか。
僕もその例に漏れず一人暮らしをしているクチですが、やっぱり家族との時間なんて普段は作れないんですよね。

――ですが、それでも言っておきます。作りましょう。

もしも親や祖父母が亡くなっている方がいるなら思い当たるかもしれませんが、

“元気なうちにもっと孝行しておけばよかったなぁ”

そうは思いませんでした?

僕も母が他界していますが、死んだ悲しみ以上に感じたのはそんな悔いでした。
僕は東京、母は東北と確かに距離的に離れてはいたんで気軽に会うのは難しかったけど、それでも偶に帰省した時なんかは母のために時間を使えばよかったなぁ、と思わずにはいられなかったです。

孝行したい時には親はなし、とは全くもって至言です。
ですんで近親と連絡とってねぇなぁって人、とりあえず電話の一本でも入れてみては?

これに限らず行動に起こすというのはとても大事です。
後悔したくないなら行動するしかありません。

いや、それで失敗したらどうすんのよ?
そんな反論もあるでしょう。

行動=成功では確かにないです。
手段や方向性、あるいは運で結果はどうとでも転びます。

だから大事なのは自分が納得するのはどっちかということ。
行動して痛い目をみるのと、行動せずに縛られるの――そのどっちが自分にとってよりマイナスか。どっちの天秤がより重いのかを考えればいい。

僕にとっては「ああしておけば良かった」、「あの時にやっておけば良かった」と思うことこそが一番心に残るものでした。
過去の後悔が偶にふと頭を過ぎってモヤモヤした気持ちになるのが気に食わない。
だから動こう、やろうという気持ちになります。

この物語のように、過去に忘れ物を取りに行くことすら出来ない現実に僕らは生きている以上、今この瞬間に何をして、未来よこうあれと願いながら少しでもそれを実現させられるよう進むのが過去に取り零した物への自分なりのケジメになるんじゃないかなと思います。

……と、気が付けば自分語り全開になってて恥ずかしいんですが、まぁ自由に書き殴る痛い系ブログなんで、ご容赦を。もしもここまで付き合ってくれたなら有難うございます。

たかが本一冊でよくもまぁ、妄想が広がるなと思うかもしれませんが、とことん自分に置き換えて読んでみるっていうのも本の楽しみ方の一つじゃないかな。
もし自分の想像力に自信があるなら、こんな本の読み方をしてみても楽しいんじゃないですかね。

伝達力と読解力

秋らしい穏やかな天気が続いていますね。
特に僕は冬型の人間なんで、これからどんどん寒くなっていく――というより暑さが遠ざかっていくことを考えるととても元気になってくるんですよねー。

……ただ、季節的にそうでも肉体的には良い塩梅とはいかないようで、ここ最近は少し体調を崩し気味なのが困りものです。
体調が悪いとは言っても熱があるわけではないので仕事も休むわけにもいかず、ダルいながらも向かわなくちゃならないのが労働者の辛いところ。
さて、そんなテンションもダダ下がる環境だったわけですが、更に気分が直滑降しそうな要因といえば人間関係。
僕も含め全国の労働者で、これに頭悩ませていない方っていらっしゃるのかしらね?
まぁ、生まれも育ちも価値観も思考性も違う人間が寄り集まって仕事してるわけだから、齟齬が生まれるのは当然っちゃ当然ですわな。
それを補正するのがコミュニケーション能力なのだけど、どうにもこれが機能してねぇなーって感じることってありません?

例えば僕の話しですけど、普通にリーマン(に限らないだろうけど)あるあるな話。

上司:A(とそれの次にやるB)やっといて。

Howl:へい。終わらせやした。

上司:……Bは?

Howl:いや、この後やりますけど、Aやってって指示ですよね。

上司:いや、Bもやってよ。俺はそう言ったから。

Howl:そんな指示聞いてねぇよクソが(あ、そうだったんですね。すいません)

抽象的な表現にしてますが、こんな感じ。
時には逆にこっちが言ったことを10のうち5しか理解してくれてないこともあったり。
ここで言いたいのは別に、テメェクソデブ死んどけや!……という事ではなく(無くもないけど)、何が原因で齟齬が生まれたのかなってこと。

考えてみて個人的にこれだって思うのは以下二つ。

1.省略

2.抽象

省略ってのは文字通り説明を省いちゃう事ですね。

5W1Hはビジネスの用語としてはメジャーですよね。When(いつ) Where(どこで) Who(誰が) What(何を) Why(なぜ)したのか?にHow(どうやって)を加えたものですけど、会話(あるいは文章)としてはこれが正しい形なんですよね。

例えば、

「俺さー、今朝めっちゃ腹減ってたからにマックでセット2つ一気食いしたんだけど、お陰で腹苦しいんだよね」

と、

「マック食い過ぎて辛ぇわー」

という二つの言葉を聞いた時にどういう風に受け取るか。

後者であっても別に会話として変なことはありません。意味は伝わります。が、やはり情報の密度として見た場合の違いは明らかですよね。
マックを“いつ”食べたのか、“何故”辛いのかなど、受け取る側で情報を補正しなければならないわけです。
要するに言葉(あるいは情報)というのは、伝える相手に連想させる余地が多ければ多いほど曖昧になっていくものなんですね。

もう一つの抽象というのは、

“アレ” “コレ” “ソレ”

などの、いわゆる指示代名詞というやつですね。先ほどの上司もよく使ってきます。
これを極力使わないというのは僕が後輩、部下など自分が教える立場にいる時に心掛けている事なんですが、この言葉がなかなか厄介なもので、気を付けていてもついつい使ってしまう単語なんですよねぇ。
一言で状態や場所を示せるからホント使い勝手がいい。でもその反面、これ以上なく情報を曖昧にしてしまう。
自分が分かっていることが必ずしも相手も同様に理解しているとは限らないものなのにね。

さて、小難しくこんな脳内会議を繰り返して出した結論としては、

“情報を具体的にするようなコミュニケーションを取る”という

……いや、当たり前じゃね? なんてツッコミがきそうなものに落ち着いたわけです。
まぁ、実際それを意識してから前より少しは意見の伝達がマシになった気がするので間違いではないんでしょう(多分ね)
……ただまぁ、ぶっちゃけメンドクセェ。
そもそも気に食わねぇ相手とコミュニケーションなんぞ取らずに仕事が進められりゃ誰も苦労はしないんですがね。土台ムリな話ですが。

個人的に“他者”と“自由”というのはこの世でもっとも対極に位置しているものじゃないかと思っています。極論、他者が存在しなければそれだけで自由ですし、そもそも自由という発想そのものが他者への意識に端を発した概念だと、そう僕は思っています。
とはいえ、どれだけ自由を渇望しようと現実社会で生きていく以上、コミュニケーションはどうしても避けられません。
そして、どんなに言葉を尽くそうと他人である以上、どうしても齟齬というのは発生してしまうものだと思います。
それでも出来る限り伝える努力をするのは大切です。相手の為というよりは自分自身の立場や精神衛生を守る為に。

他人とどう折り合いをつけて接していくかというのは、自由に生きる上で何よりも考えなければいけない課題なんじゃないかなと、この文章を書いていながら思いました。

バーへ行ってみよう

事前情報って大事だなって思いました、ハウルです。

いきなりなんのこっちゃって話ですが、まぁ順を追って話します。

皆さんには癒しはありますか?
家族や恋人と団欒したり、ペットをモフったり、アイドルのファンやったりと十人十色だと思います。
僕の場合ですが、タイトルからも分かるように酒です。
一応言っときますがアル中じゃないので悪しからず。むしろ、寝付きが悪くなるので休みの前・当日を除けば平日は一滴も飲まな…い……ってこともないなw
や、でも飲んでもショット一杯ぐらいですって。
ともかく僕は日常的に酒――特にウィスキ――を嗜んでるわけですが、特に週末の仕事終わりにバーに通ってウィスキーを飲みながら読書をするのが趣味です。

そういうわけで、この先週も同じように飲みに行ったわけなんですが、運悪く普段通っている店が満席だったんですね。週末の夜ですから良くあることです。
仕方ないので、また別の通い慣れた店へ。ところがそこも満席。正直、心の中でfu◯kと叫びました。
諦めて家飲みに切り替えるかなぁとも思ったんですが、せっかくなんで新規開拓してみるかと初めての店にフラっと入ってみたわけですが、コレがいけなかった。

扉を開けて出迎えを受けてチラッと店内を見渡すと全席カウンターのシックな装い。見たとこバーテンダーはみな女性でしたね。この時点でちょっと嫌な予感はしてたんですが、初めてなので説明を聞いてみると、

テーブルチャージ料金:五千円。

……ゴハッ!(吐血)

どうも基本的にそこ、ボトルキープして楽しむお店だったようで。キープするとチャージが掛からない仕組みなんですね。馴染みの店だったらボトルキープもアリですが、さすがに初見のお店ではねぇ……。
そこでやっぱいいですとも言えず、居着いちゃう辺り自分のチキン具合がよくわかるね。

そういうわけで痛い勉強をしてしまった週末の夜でした。もしも興味があってバーに行こうと思った時は、Webなどできっちり確認してから行くようにしましょうね。
まぁでもその店、雰囲気はかなり良かったんで、改めて通うのもアリかなとも思ったり。

バーの大半にはテーブルチャージ料金があります。横文字だとわかり難いですが、要はショバ代です。そのバーにおける自分の座席の確保権なわけですね。
チャージには結構否定的な意見も多いし、僕自身も諸手を挙げて肯定はしません。
でも僕のように2、3杯で何時間も粘るような客は店にとっては回転率が下がる要因ですからね。長居することへの対価+良質な雰囲気へのチップと考えれば数百〜千円ちょっとの金額は渋る程ではないなと僕は判断しています。
飲食以外に余計な金を掛けたくないというのなら、テーブルチャージのない店もあるようなので探してみるのもいいでしょう。

バーや居酒屋に行くのは第一に楽しんでストレスを発散する為ですから、自分の気持ちに合致する店を探すのも酒を嗜む楽しみの重要なファクターです。

バーというと、何かとっつき難いイメージが先行しがちですが、実態としては全然フランクに臨める場所ですから、興味の湧いてきた方は是非とも気軽にデビューしてみてください。
その一歩が貴方の自由への新たな扉を開くことになるかもしれません。

 

……今週はちゃんと確認してから行こう(戒め)

 

自由に吼えていく

どうも初めまして、ハウルです。
いや、別にジ〇リからパクったわけじゃないっすよ?w

タイトル通り、気まま風の向くまま自由に吼えていくのが趣旨のブログになるかなと。
まぁ、それだけじゃ取り留めもないから、何かしら観てくれた方々のタメになるような物も紹介していけたらいいかなと思っています。

今のご時世、何につけても雁字搦めで生き難い世の中じゃないかなって僕は感じてます。言いたいことも言えないこんな世の中じゃ…的な。
でも、だからこそ自由への渇望ってのは忘れちゃいけないよねって思いでこのブログを始めました。
このブログが一人でも多くの人の自由への標となれるように頑張っていきたいと思います。