めんどくさいを無くすには

新年あけても特に言うことないんで通常営業でやっていきます。

さて、ぶっちゃけ、僕は超がつくほど面倒くさがりです。

仕事がめんどう、対人関係がめんどう、布団から抜けるのもめんどうと、客観的に見ても割としょうもないダメ人間なのが僕です。

今まで生きてきて能動的にやった事なんてそう多くはないし、やり遂げた事はもっと無い。

今も生存のために仕事なりなんなりしてますが、とても息苦しさを感じてしまうのが現状なんですね。

このザマじゃ、とてもじゃないけど標榜してるような“自由に生きる”を体現するには程遠いなと、長く悩んでました。

それこそ面倒な事に僕は天邪鬼なもんで、モチベーションを上げようと思えば思うほど、心が反逆してくるんですよね。

例え頑張ろうと思っても、

「オマエ本当はめんどクセェなぁって思ってんだろ?」

「やったところで何にもなんねぇよ。ダラダラしちまおうぜ」

と、頭の片隅に居座った冷めた怠惰な自分が囁きかけてくるわけです。

もちろん、それは単なる言い訳に過ぎないわけで。

他の誰でもない、純粋に動かない自分に非があるのは分かっています。

なので以前はだいぶ腐ってました。色々な意味で自分はクソみたいなもんだと見切りをつけていました。

でも、あるとき、二冊の本を読んだことで一つ自分の中で転機がありました。

趣旨を一言で表すならモチベーション(やる気)に頼らなくとも人間は行動できるという本です。

参考になったのを一つあげると、行動はミニマムに刻むというのがあります。

例えばダイエットのためにランニングを習慣づけようとしているとします。

痩せれば異性からモテるかもしれない。同性からは羨望を向けられるかもしれない。

大体はそういった願望を持ってやり始めるんじゃないですかね。

僕も一時期筋トレを習慣化していたけど、僕はどうだったかな。

当時付き合っていた子がいて、やっぱり彼女に惚れ直してもらいたくてってのが理由だった気がします。

でもこういう地道な努力って難しいですよね。

走り終えた後の爽快感はあるけど、走ってる間は苦しいし、別に楽しいわけでもない。

また短期間で効果が出るものじゃないんで、目に見える変化が表れにくい。

で、結局続かずに終わってしまうのがパターンじゃないですかね?

そこで、ここでは運動するという行動全てを分割して区切ってしまいます。

ステップ①:運動服に着替える

ステップ②:靴を履く

ステップ③:玄関扉を開ける

ステップ④:数十メートルだけ頑張る

ステップ⑤:さらにもうちょっとだけ頑張る

……と、こういった風に物事を細分化して小さなコスト(労力)で実行していくと心理的に負担が少ない。

決意してから走り始めるまでに四日も費やすなんて端から見ればバカバカしい限りだし、そんなんすぐにでも出来るわと思うんじゃないですかね。

大事なのは達成したという事実と継続性とのことです。

人は安定を好みます。

環境が変わると体の調子を崩すことはないですか?

そこまでいかなくとも、ストレスが溜まっていくのが自覚できる人はいるんじゃないですかね。

良い習慣であれ悪い習慣であれ、人はそれを維持しようとし、変化を拒絶します。

その拒絶が

「めんどくさいなぁ」

という感情となり行動するのを押さえつけようとしてくるわけです。

人間、不思議なもんで最初は面倒だと思っていても、やり続けていると段々と苦じゃなくなってきます。

更に継続していくと今度はある種の愛着というか、ルーチン化してきて、やらないと逆に落ち着かなくなってきます。

それが自分にとって意味のあるものなら継続し続けることです。

例え量や質が極小だったとしても続けていれば、いずれ心が追いついてきます。

何某かを始めようとする一番最初の決意は確かにモチベーションありきです。

しかし、それを継続していくことにメンタルの強さは関係ありません。

自分の心をコントロールする術があることを自覚し、それを駆使するテクニックがあれば物事は続きます。

それがいずれ実を結び成果となるんですね。

もし、自分がめんどくさがりだと思っている人がいるのなら是非読んでみて、そして騙されたと思って試してみてください。

存外、自分は動ける人間なんだと思えるんじゃないでしょうかね。

ちなみに転機になったもう一冊も近いうちに紹介したいと思いますんで。

それでは。

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